もし私の顔が青いなら −記憶の変調のための断片とバリエーション −

Totti812007-08-26

1.Kyrie : 憐れみ
もしマンロウが生きていたら、学生の僕は聴きに行ったのだろうか?

2.Gloria : 栄光
  知っている青とその他の青と...

空の青み クライン・ブルー サムのブルー
すべての青

3.Credo : 信条告白
  穂高連峰を前にして

滑り落ちる時は時間がゆっくりと経つものだ。
滑落する自分を冷静に見ること。周− 記憶の変調のための断片とバリエーション −る。降りるほどにひどくなる。
ちょっとした失敗から僕は滑っていき、止まらなくなった。
ピッケルは立たない。分かってはいたが試した。
加速する一方だ。制動が全く効かない。
両手を雪に突っ込む。抵抗無く突き刺さる手。それでも止まらない。
僕は暑さのため途中で手袋を脱いでいた。冷たくていい気持ちだった。
斜面が一段と急になった。身体は更に加速する。
生い茂る熊笹が、融けた雪の上に数多の葉を出している。
笹を滑る音。不快なレクイエム。
掴めば止まるかもしれない。
鋭い葉は僕の指を幾条にも切り刻むだろう。
細い茎は加速のついた全体重を支えきれるのだろうか。
多少制動できても崖から落ちてしまえば同じことだ。
そして僕は力を込めて熊笹を掴んだ。

青空。

4.Sanctus : 聖なる
    夕暮れの北新地を歩く

街角のギター弾き。チラシ配り。頬のラメ。スーツ。信号。横断歩道。モーターサイクル。チョークの看板。自動販売機。舗道。立っている女。街頭販売人。石碑。花輪。配達人。窓。向こう側。マッチ。歩くこと。彼女の左手。吸い殻。側溝。止まらない視線。電線。良く動く口。自転車。入れ墨をした美人。池に反射する月。キャッシュディスペンサ。携帯をまさぐる指。歩道橋。星。地下街へのエレベータ。キャッチアイ。着物姿。ポケットティッシュ。灰皿。テーブル。ネイルアート。見えない屋根。ゴミ袋。猫はいない。バッグ。路地。蘭の鉢植え。アイライン。長靴。ノーズシャドー。街路樹。つけているはずの香水。本。サクリファイス

5.Benedictus : 賛歌
   ジョン・アダムス "Shaker Loops" を聴きながら

もし私の顔が青いなら...もし私の顔が青 なら...
もし私の顔が青い  ...もし の顔が青いなら...
もし私 顔 青いなら...もし私の が青いなら...
もし私 顔が青い  ...もし  顔が青いなら...
もし私の顔が  なら...もし    青いなら...
  私の  青いなら...もし私の顔が青   ...
    顔     ...  私の  青い  ...
もし    青いなら...もし        ...
        なら...も         ...

6.Agnus Dei : 神の子羊
6.1.ショットバーでの会話
  ・・・  青い光のガラスカウンターで

強いわね、ストレート?/いい酒だから水で割るのはもったいないんだ/いつもスコッチ?/そうでもないよ。貴女は学生?/そうよ、でも院生なので年なの/何を学んでるの?/会計学よ/その顔で、意外だな/なによ、それ/いや、のんびり屋の美人だから/あら、お上手ね/就職は?/探してるわ。でも将来は会社を経営したいの/では未来の美人社長に乾杯/ありがと。乾杯/スリムだな/でも体力あるわよ/街で見かけたら声をかけたくなるよ/かけられたことあるわ/どうあしらうの?/ついて行ったわ/いい度胸だね/カメラマンだったの/見る目があるね/怖かったのだけど/撮影はどこで?/神戸のスタジオ/きちんと照明を当てたんだ/しかも動きを撮るの/動き?/私が動いているところを撮るの/難しいね/そう、動いているところを撮れるんだってびっくりしたの/それは難しくないよ。貴女の動作のことを言ったんだ/そうなの?/動きの撮影はタイミングだけなんだよ/私クラシックバレーやってたから/なら分かる。普通の子は急にはできない/そうかも。でも写真見せてもらって感動したわ/撮ったのが僕でなくて残念だよ/そうね、私もよ/もう一杯どう?/ありがと。不思議ね/なにが?/なんでもないわ・・・

6.2.『空から小鳥が落ちてくる...』
   田村隆一『幻を見る人』1956 ・・・ 仕事場で

「小鳥は落ちないよ。世界中に張り巡らされた Web に引っかかるからね。」
小さなネズミはそう言ってニヤッと笑った。「落ちてくる空さえ見えないぞ。」
サーチしてる時に話しかけるなよ、げっ歯類のくせに、と思って振り返ると、既にチェシャー猫が小うるさいネズミを食っていた。たまには役に立つ猫だ。鳥の羽が落ちているのが気になったが。
「水をくれ。」名無しの猫が言った。「喉が渇いた。」
猫の分際で俺に命令するな。そう思ったが無視してキーボードを叩き続けた。
やっと調べものに土地勘ができてきたところなんだ。気が散る。空、青、猫... 
くそ、侵入してきやがった。青、小鳥、青ざめた、猫...おいっ!
振り返って怒鳴りつけてやろうとしたら、チェシャー猫は巨大な口だけの存在になっていた。その口は無数の小鳥たちをくわえていた。
一体どこにこんなに小鳥がいたんだ。猫は俺の思念が聞こえたかのように言った。「そこら中にいるよ、どこにでも。お前の部屋にだってこんなにいっぱいいるじゃないか。」
小鳥たちを食む奇妙な音。舞い散る無数の羽。
冗談じゃない。掃除するのは俺なんだ。「おい!消える前に掃除しとけよ!」
しかし猫の口はニヤニヤ笑いながら消えていった。小鳥たちをゆっくりと噛み砕きながら。
俺は悪態をつきながら猫が消えた空間を見ていた。飛び散っては舞い落ちる羽の向こう、窓の向こうに微かに青い空が見えた。

7.Ite Missa Est : ミサの解散
もし  わたし  かお   あお い
  もし    あお        あお  ぞら


2006.06.05
against my memory of Guillaume Dufay's Chanson et Missa "Se la face ay pale"
The Early Music Consort of London with David Munrow, recorded in 1973

Se la face ay pale
La cause est amer. ["amer"=love]
C'est la principale,
Et tant m'est amer ["amer"=bitter]
Amer, qu'en la mer ["amer"=to love, "la mer"=the sea]
Me voudroye voir.["voir"=see]
Or scet bien de voir ["de voir"=truly]
La belle a qui suis Que nul bien avoir ["avoir"=have]
Sans elle ne puis.

If my face is pale
the reason is love.
That is the main cause,
and love is so bitter
for me that I wish to
drown myself in the sea.
So she can truly know,
the fair one to whom I belong,
that I cannot have any joy
without her. [two more stanzas]

もし僕の顔が青いなら
彼女を愛しているからだ
それが本当の理由
そして僕には 愛はほろ苦いもの
僕は青い海で溺れ死んでしまいたい
そうすれば彼女は本当に知るだろう
僕は美しい人のもの
僕は彼女無しには何の喜びもないことを

高橋アキ、シャガールを弾く


*1

略さずに言うと「高橋アキシャガールと同時代の作曲家の小品を弾く」ですけど、

短くしても意味は通ります・・・かもね (^^;シャガール展をやっていた三重県立美術館のエントランスホールでのコンサートです。5.26(土)にあったのに事情でアップが遅れてしまったけど、貼っときます。
高橋アキさんは現代音楽の奏者として著名です。学生時代には、リサイタルや現音プログラムの中で、彼女のピアノをよく聴いたものです。LPやCDも何枚か持ってます。アキさんは当時の現音好きの学生には憧れのピアニストでした。外見のように、クールで理知的な演奏です。

全席自由の250席は

5月上旬には完売でした。当日、立ち見席を50枚販売するとの情報を得て早めに行きました。一抹の不安があったのですが現地はずいぶんのんびりモードで、いくつかの展示室を回る余裕があったほどです。
立ち見席には2階への階段が当てられました。途中で席数を増やして階段の観客は減ったけど、せっかくの機会なのでそのまま階段で聴いていました。

曲は、

サティ、ドビュッシー、ラベルといったフランスの小品が前半。後半は著名な作曲家のタンゴが中心でした。サティ、ミヨー、ストラヴィンスキーまであります。他にモンポウとヴィエネ。
僕の位置では、前半は音がこもりがちでしたが、後半はクリアになってきました。前面がガラス張りで、明るいうちから演奏が始まったため、気温が影響したのかもしれません。
昔より、しっとりした演奏に聴こえました。ただ、期待した『お前が欲しい』ではテンポを大きく波打たせていたのですが、意図が分かりませんでした。僕はこの曲については、踊れるような歯切れの良い演奏が好きなのです。お兄さんの高橋悠治氏のLPでのテイクが、情熱的でもあって一番好きですね。昔のことだけど、生でもご両人の演奏を聴いてます。兄妹聴き比べは大分やりましたね。
僕が聴かなくなってからのコンサートでは一般的なのか、CDの展示即売をやってました。現代曲はケージぐらいで、ハイパー・ビートルズとか、彼女が力を入れているらしいタンゴとかしかありませんでした。
結局、CDを買えばサイン会に参加できるのに釣られて、タンゴを1枚買いました。もちろんサインもしてもらいましたよ。年甲斐もなくミーハーしてしまった。(^^;;;
アキさんは相変わらず素敵でした。とんがった部分は丸くなっていたかもしれませんが、歳月が経ってもそのままのアキさんです。

ところで、

シャガール展には2〜3良いのがあったけど、別室でやってた坂本泰漣氏のモダンな作品の方に惹かれました(末尾URL参照)。和紙を貼ったりして多層的に作られており、レリーフのような印象です。
背景が暖かい白になるので、原色に近い暖色群や寒色がマイルドに見えます。本来クールになるべき作品が柔らかくなっており、広い展示室までが、白っぽい壁にもかかわらず眼に優しい光の部屋に変貌していました。
シャガールより、こちらの方がこの日のコンサートに相応しく感じました。

【メモ1】プログラム
<第1部>
エリック・サティ
  ジムノペディ第1番
  グノシエンヌ第3番
  サラバンド第3番
  ジュ・トゥ・ヴ
クロード・ドビュッシー
 前奏曲集第2巻より
  霧
  風変わりなラヴィーヌ将軍
  月の光がふりそそぐテラス
  ベルガマスク組曲より 月の光
  レントより遅く
<第2部>
モーリス・ラヴェル
  亡き王女のためのパヴァーヌ
  古代のメヌエット
フェデリコ・モンポウ
  風景
  1.泉と鐘 2.湖 3.ガリシアの荷車
エリック・サティ
  タンゴ(『スポーツと気晴らし』より)
ダリウス・ミヨー
  フラテリーニのタンゴ(『屋根の上の牡牛』より)
ジャン・ヴィエネ
  タンゴ
イゴール・ストラヴィンスキー
  タンゴ
【メモ2】
三重県立美術館ミュージアムコンサート 高橋アキ ピアノコンサート
シャガール展によせて シャガールと同時代の作曲家の作品を中心に
高橋アキHP
各地でかなりのコンサートをやってるようなので、また聴きに行こうと思います。モートン・フェルドマンを聴きたい。
坂本泰漣:画廊宮坂
実際の作品は、はるかにくっきりはっきりしていて綺麗なので、この写真の出来は残念です。
   現代音楽 ピアノ :2007年06月03日 Muse
【追加メモ】
坂本泰漣氏の個展は銀座のは終わってて、今年は他にないようです。
でも、毎年4月頃、銀座7丁目の画廊宮坂でやるみたいですね。
ここの画像は小さいけど、雰囲気は実物に近いですよ。真ん中より下。
つ http://www.gaden.jp/ex_but/2006/0604c.html

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素人が武満徹作曲賞本選作品を審査する。(=^ェ^=)v

Totti812007-05-30

*1
というわけでオペラシティに行ってきました。先日の日曜のことです。僕は音楽関係者に知り合いなどおらず、部外者もいいとこなので、一人お気楽・無責任に聴けました。
=^◇^= kerakera
ただ聴くだけでは面白くないので、採点して順位をつけることにしました。審査員ごっこですね。かなり楽しめました。芸術に点数をつけられるのか、などと固いことは言わないで下さい。お遊びなので。
新幹線の中でとりあえず採点項目を列挙していきました。僕はドのつく素人なので、技術評価などは無謀です。独創性や斬新さの判断も、20年もブランクがあっては知識ベースがなさ過ぎて無理です。
そうした項目は片っ端から削りました。結局、素人の感覚判定になってしまうのがちょっと悲しいけど。しかも、整理する時間が無くて項目数がやたらと多い上、実際に聴きながら増えていったのです。やる前から自滅しそうな予感。(爆)●〜*
ともあれ、僕のつけた順位を記します。なるべく予断を排すため、聴く前はタイトルさえ見ませんでした。
1位:アンドレア・ポルテラ(イタリア):キューブ
2位:ヨーナス・ヴァールフリードソン(スウェーデン):戦場に美しき蝶が舞いのぼる
3位:植田彰(日本):ネバー・スタンド・ビハインド・ミー
4位:ウー・イーミン(中国):夢の回想
5位:ファン・マン(中国):アクア 〜武満徹の追憶に
ポルテラ氏のは出来すぎてて、それ以上に曲に力がありすぎるんです。つまり若さに欠けるように思えたので、武満賞の主旨にそぐわないかもと一応思いました。でも、強く心を動かされたのでこのままにします。

以下、演奏順にメモします。

中国の二人は普通でした。ファン女史は、タケミツトーンに不協和が混じったような響きとペンタトニックが特徴的。後半になるにつれ、破綻したような音響が時々発生します。構成の問題かもしれません。が、細かく作り込んでる印象はありました。外交辞令なのか、武満を意識しすぎる発言が多かったのですが、もし本音なら、武満から逃れようとする努力が音楽的な破綻を生んだのかもしれません。壁を突破したら良くなるでしょう。その期待は持てると思います。
ウー氏はオーケストラの鳴らし方が上手いんでしょうね。時に、後期ロマン派ってこんなんじゃなかったかな、と嘘っぱちな感想を持ったぐらいです(僕は聴かないので判断できません(^^;))。破綻なく綺麗に作ってあるけど、全然印象に残りませんでした。僕とは美意識が違うのでしょう。
ここで休憩。始まる前は、全くわけの分からない曲ばかりじゃないかと心配だったんですが、2曲聞いた後では、耳には一応入ってくるけど、僕の感覚が錆び付いて全くダメになってるんじゃないかと心配の方向が変わりました。

気を取り直して第2部です。まず、ヴァールフリードソン氏。

冒頭から音楽の質が明らかに違います。奇妙な構成と静謐な美しさを持った曲です。限られた範囲での多様性もあります。その意味で色彩を感じ取れる曲です。
2nd パート冒頭のバイオリンソロが第2奏者に受け渡される部分や、トゥッティの単純さ、静かに立ち上るようなくっきりとした響きなど、感心した部分も多々ありました。予期しない音が時々出現するのですが、違和感はありません。
そしてこの曲で初めて、表現に必然性を感じたのです。
内輪なのか、一人がブラボーを連発してました(何回も叫ばなくても分かるよ。僕だって手が痛くなるほど拍手したんだから・・・)。
僕は1位が出たなと思いました。それぐらいこの曲は魅力的でした。弱さというか繊細さの中に強さが潜んでいる。そういった印象です。静かな部分が静かに聴こえるのは当たり前ではありません。それは強靭な精神の一つの現れです。

次はボルテラ氏。

さっきの曲の印象が強くて、出だしからしばらくの間は何とも思いませんでした。第何パートだったか、バイオリン群が一斉に楽器を水平に持ってf字ホールを口で吹き始めた時も、あんまし効果はないんじゃないかと思ったぐらいです。
しかし途中から印象が地滑り的に変わりました。さしたる変化のない音の重なりの、持続力がすごいんです。これまでの3人はオーケストラの持つダイナミックレンジの広さを、それぞれの方法で強調していました。強弱の波や落差が大きかったわけです。
ボルテラ氏はそのような使い方をしていません。淡々とした強度で、単純な音形や同音反復を重ねています(ミニマルではありません)。それらがボディブローのように、聴き手の精神を重く打つのです。しだいに身体まで共振していくように思われました。気づいた時には音楽に同化していたのです。
終曲は弦の持続音とグリッサンドが次第に大きくなり、フォルティッシモで終わりました。何と古めかしい手法であることか。しかし、それが実に必然的なのです。これほどの説得力にはめったにお目にかかれません。
「詩人の重要な仕事の一つは、手垢にまみれた言葉に、新鮮な輝きを取り戻してやることだ」と誰かが書いていたのを思い出しました。ボルテラ氏は音楽でそれをやってのけたのです。
後で楽譜を見て、シンプルで美しいデザインに打たれました。合理的で無駄が無い。演奏しやすいと思います。特殊奏法の説明が最初の数ページにあって、こんなに使ってたのかと驚きもしました。
この曲にあってはすべてが必然なのでしょう。何をやっても浮きません。実に堅固な音楽です。高い水準の音と精神の強度。そしてその持続力。コントロールが行き渡っており、上手さと底力とを感じました。面白さに欠けるかもしれないけど、表現としては第一級のものでした。

最後は植田氏です。

一口に言って、オーケストラによる祭です。お祭り騒ぎと言った方が適切かもしれません。
冒頭から大音響の一撃。後はオーケストラをノイズメーカーのように使うばかりか、様々な音響ガジェットのオンパレードです。
蛇腹のホースを振り回したり(奏者は実に上手くコントロールしてました)、オモチャも色々使っていました。手を叩いたり、足を一斉に踏み鳴らしたりもします。バイオリンもノイジーな使い方が目立ちました。
動と静、音の大小が極端でもありましたが、しだいに激しさが勝っていきます。面白いけど、くどく感じました。リズムの強調が上滑りになってくるし、前半にはあった「間」が後半にはなくなります。ただ、遊びの要素が多いわりに、深刻な音もしばしば出てきたことは、強調しておいても良いでしょう。
バランスが悪いことと、音色のガジェットの大量使用に必然性が感じられなかったので、得点は下がりました。
ただし、始めに作曲者による解説を読んでたら、もっと点数が上がったかもしれません。思わず吹き出しましたから。植田氏は冗談の分かる人のようです。

さて、実際の結果はどうだったか。

今年の審査員、西村朗氏のつけた順位は、1位:植田彰氏、2位:ポルテラ氏、3位が残りの3人でした。
正直、ヴァールフリードソン氏の曲は中国の2人より、個性だけをとっても明らかに優れています。でも、武満賞はただ一人の審査員が決めるのですから、審査員が個性を出すのは義務のようなものです。評価軸が違うのも当たり前。
でも植田氏の曲をアヴァンギャルドと呼んだのには違和感を覚えました。「アヴァンギャルド」は20世紀前半(せいぜい70年代前半まで)のイメージなのと、現代の文脈の中では、破壊力としてはそこまで大きいと思わなかったからです。

最後に、

植田氏の奔放な曲を聴いて一層強く思ったのですが、指揮の岩村力氏と東京フィルハーモニーの持つ高い実力と、真摯な努力に敬意を表したいと思います。
新作5曲を一晩で演奏するだけでも大変なことでしょう。それを、特に無理を感じさせる事無く、質的に平等にかつ曲の個性を引き出して演奏していました。特殊奏法や無理難題みたいな指定も多かったにもかかわらずです。
全体の響きだけでなく、独立して生成する音たちもクリアに聴こえました(会場が良かったのかも?)。実に丁寧で誠実な仕事振りだと感じ入ったしだいです。オケなど若い頃からあまり聴かなかった素人ながら感心しました。
この日の主役は岩村氏と東フィルだったのかもしれません。実際、僕は彼らの支持者になってしまいましたから。

【メモ1】

コンポージアム2007
2007年度 武満徹作曲賞 受賞者決定!
審査員:西村朗氏の総評、受賞者の言葉
本選演奏会の放送予定:現代の音楽NHK-FM
6月 3日[日]18:00〜18:50
6月10日[日]18:00〜18:50 *2週に分けて放送

【メモ2】私の採点表

・A〜Eは演奏順の曲の並びです。本文をご参照あれ。
等幅フォントでないとズレます。
・聴きながら項目を付け加えていったので、似たようなのや変なのが増えました。悪しからず。。=^◇^=;
===========================
 A  B  C  D  E
===========================
 3  3+ 4  5  3  感動度、感心度
 4  4+ 4  5  4  美しさ
 3  3  4  3+ 5  若さ
 3  3+ 5  5  5  エネルギー
 3+ 4  4+ 5  4  洗練
 3  3+ 4  5  3+ 厚み
 3  3  5  5  4  必然性
 3  3+ 4  5  3+ 深さ
 2  2+ 4  5  4  存在意義
 4  4  4+ 4  4  理解容易性
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 3  3  4  4  4  新しさ
 4  4+ 6  5  4  拍手
 3+ 4  4  5  3+ 上手さ
 2  2  4  3  4  危うさ
 3  3  4  5  3+ 表現の根拠・根源
 2  2+ 5  5+ 3  もう一度聴きたいか
 3  3  4  4+ 3  心地良さ
 3  3  4  5  3  持続力
 2  2  4  4  5  斬新さ
 3  2  4  5  5  インパク
===========================
57 62 82 88+ 73 合計:元
60 64 86 93+ 78 合計:項目増後
===========================
こうしてみると、同じ基準で採点してない項目が目に付きますね。「美しさ」なんて明らかに基準が変化してます。
ま、それでいいのです。

<改訂> 070603

・表の項目と得点表示を左右入れ替えた(Win の標準設定では見にくいため)
・1項目復活させた(満点100となった)
・表現の修正、誤字脱字誤植の修正、誤りの訂正を行った。
現代音楽 古楽 作曲家 ヴァイオリン(バイオリン) ピアノ
日付:2007年05月30日

<改訂2> 070610

はてな用に以下の自己コメントをエントリー内に組み込んだ。
【メモ3】追加します
岩村 力 Chikara Iwamura
東京フィルハーモニー交響楽団
2007年06月03日 18時35分53秒
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブログから評を引っ張ってきました。素人仲間らしき人もいます。
概ね、ポルテラ氏とヴァールフリードソン氏とを高く評価しているようです。
コンポージアム2007 武満徹作曲賞本選演奏会:最後から二番目の思想
2007年度武満徹作曲賞本選演奏会 @東京オペラシティ コンサートホール:Bweebida Bobbida
武満徹作曲賞:geology of the listening room
BBSですけど "Message Board for Classical Music" から辻本氏の投稿。コンポージアム4(5/27) をご覧下さい。
Message Board for Classical Music
少し情報価値が高まったかな...(^^;
2007年06月03日 18時41分43秒

<改訂3> 070610

1st Prize ; Sho Ueda (Japan) / Never Stand Behind Me
2nd Prize ; Andrea Portera (Italy) / CUBE
3rd Prize ; Jonas Valfridsson (Sweden) / In Killing Fields Sweet Butterfly Ascend,
3rd Prize ; YiMing Wu (China) / Reminiscence of a dream,
3rd Prize ; Man Fang (China) / AQUA - In memoriam Toru Takemitsu
COMPOSIUM 2007
Results of TORU TAKEMITSU COMPOSITION AWARD 2007

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ちょっとパーセルを

*1

現代音楽について書くと疲れてしまう。

というより、聴くだけなら気楽なんだ。それは、ブルースでもジャズでもロックでも同じだし、中世・ルネサンス音楽だろうが、バロック音楽だろうが同じはずだ。書くと疲れる。それに、出してるはずなのに溜まる。まだ足りないのだろう。
なるべく印象記にならないように、かつ過剰に知識に頼らないように注意しているけど、まだブレるし、文体も定まらない。ま、知識なんか粗方忘れてしまったし、印象を書こうにも感覚は錆び付いている。その方が表現には都合が良いのだが、半端だし、疲れ過ぎるのは困る。

そんなわけでヘンリー・パーセルを聴いている。

歌劇『ディドとエネアス』だ。
ちょっと失敗した。僕の耳にはかなりオペラっぽい。スコラーズ・バロック・アンサンブルってのは古楽器を使ってるのではないのかな? テオルボは良いが、ギターと書いてある。バイオリンはあのバイオリンか? 奏法は少なくとも違うが。
僕はオペラは好きではなく、学生の頃はもっと嫌いだった。現代曲とバロックオペラは別として。ちなみにロックオペラは好きではない。
初めて気に入ったのは、ペルゴレージの『奥様女中』だった。軽快な演奏と歌が切れ目なく続く(違っていたかもしれないが、印象はそうだ)、ポップスみたいな音楽だ。僕は持ってないが、オペラ好きな人の餞別品の担当を頼まれて、僕が良いと思ったバロック期の音楽のLPを、集まったお金で買えるだけ買って渡したことがある。その中の1枚に加えた。絶対のお勧めだった。第一、オペラ好きなら、僕が知ってる程度のイタリアオペラのタイトルを買ったところで、本人が持ってる可能性が高すぎる。その上、僕はロマン派嫌いでロクな曲を知らなかった。いや、全てというわけではないけれど。
ヘンリー・パーセルで好きなのは『メアリー女王のためのオード』とかそんな類いの、軽快でさほど長くない曲だ。軽くて軽過ぎず、気持ち良すぎない程度に気持ち良い。これらは本当に心地よかった。
そしてオペラの『妖精の女王』も良かった。マスクらしいが僕にはオペラだ。短くてアップテンポのシンプォニーが数曲続き、間髪を入れずに "Come come come come, can’t see ..." と絶妙のタイミングで声が挿入される。ま、あくまで印象ということで、歌詞もいい加減だがそんな感じだ。25年も聴いてないし、LPが再生できないので聴き返すこともできない。ま、印象だからそれで良いんだ。

で、『ディド』が終わっちゃったので

ディスクを換えたら、クイーン・メアリーのためのセイクリッドなミュージックだった。カタカナ書きすると変だな、やっぱり。
テ・デウムから始まったが、まぁまぁだ。適当に気分は良い。華やかな金管も良いなぁ、パーセル
パーセルは36歳で死んだが、イタリアのペルゴレージも同じぐらいで死んだ。そう言えばファーストネームを知らないな。ジョバンニぐらいにしとこうか。賢治みたいだし。ジュゼッペでも良いかな。彼も天才だ。
次の世紀を生きたモーツァルトも同じぐらいの歳で死んでるが、僕は学生の頃はパーセルの方が天才だと思っていた。今はあまり自信が無い。いつの間にかモーツァルトも結構好きになってるから。
ベームウィーンフィルポリーニが弾いてる21番だったか19番だったかはとても良い。その程度には好きになった。遊びにきていた女の子にも良く聴かせた。良いと言ってた。でもパーセルだな、今のところ。

イギリスは不思議な国で、

パーセル以前には大作曲家が大勢いるのに、パーセルの次は20世紀のベンジャミン・ブリトゥンまで跳ぶ。ブリトゥンときたら保守的な作風で現代音楽とは言えない。そして、義務教育の教科書に出てきた『青少年のための管弦楽入門』で使っている旋律ときたらパーセルだ。間に誰もいないのだ。いっそダウランドでも使えよ。王室が好きならウィリアム・バードとかそのあたりのでも良いが。でもやっぱりパーセルだろうな、使うとしたら。気持ちは分かる。
極東の高橋悠治だって『パーセル最後の曲集』を作ったぐらいだ。”Unfortunately, Henry Purcell ...” という女声の朗読に、様々に変形された美しい旋律の断片が幾重にも絡まるあの音楽は、ブリトゥンと同じぐらい良かった。時代のハンディがあるから、その程度の評価で十分だろう。ユージはパーセルみたいに粋だった。いやダウランドのように美しくも物悲しい。
これもLPだから今聴けないなぁ。何とかしよう。もう何年もそう思ってるんだけどな。
さ、これで少しバランスが取れた。知ってる人間には面白くも何ともない下らない話を書くのは、ストレス解消になる。文体も変えたし、わりと安定している。これで中身があれば良いんだけど、今は無い物ねだりだ。書いただけマシだ。
ちょうどパーセルのCDは「ハレルヤ」の連続だ。そういえばヘンデルもわりと好きだったりする。ほとんど聴いてないが。気が多いのかな?
でも、アップするのは良いがパーセルに似合う写真が無いなぁ。コンパクト・デジカメ、酔っぱらって壊してから更新してないのが辛い。やっぱり新しいのを買おう。5台目かな?
  古楽 作曲家 日付:2007年05月21日

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組み立てられた日常:リュク・フェラーリ

*1

1988年に作られた『小さな断片または36行のコレクション/ピアノとテープレコーダーのための』は、終曲を除き、数秒から1分数10秒の部品が集積した、音の日常的なドラマです。ただし、変調され、変形されたいくつもの音が並行して生起するドラマです。それこそが日常的な音空間なのですが。
短い打撃音とピアノの崩れた単旋律で始まるこのコレクションは、次々と短いバリエーションがつながっていきます。鳥の声や自然音を使った風景描写の辺りから映像空間が侵入し、日常のドラマの様相を帯びてきます。
奇妙に変形されたピアノ旋律の、断続する流れを邪魔するように、様々な電子音や具体音の浸食が始まります。日常的な単語の断片、「何..?」とか「アン、ドゥ、トロワ」とか「気をつけて」とか、「あなたの...」とか、「カモン」とか、男女の声の断片が唐突に入ります(それにしても「アイ」って何だろうか?)。
私は、一聴してジャック・タチを連想しました。彼の映画は、クールで都会的なセンスを持ち、ユーモアとエスプリの利いたコメディです。ただし、フェラーリの音楽から想起するのは、断片化され、ランダムに継ぎ合わされたタチのフィルムです。
ばらばらの部品は、内部もばらばらになっていきます。複数の旋律や音響がランダムに生起し、時々リヒアルト・シュトラウスシューマンといったロマン派の音楽が、変形されて断片的に引用されます。男女の会話も次第に変調されていき、音節が不明瞭になります。
この『36個の連続する小品』は音のコントのパッチワークであり、全体としてコメディを構成しているとも見なせます。コミカルなフランス風スラップスティックだと思いました。
でも、一度に出てくる音がさほど多くなく、ダイナミックレンジも瞬間値以外は狭いので、うるさくは感じません。ベースにあるのは最初の旋律です。
流れる音は時々つっかえたり、崩れたり、急に声や台詞やその他の音が割り込んできたりしますが、そのタイミングが絶妙で、芸の域に達しています。聴きながら、クスクス笑ったり吹き出したりする類いの音の芸です。聴き手に台詞の意味や元の曲が分からなくても、リュック・フェラーリは音でそれをやってのけています。
終曲は6分を越えるピアノソロ。『最後は凄まじくも悲しく』と皮肉なタイトルの通り、発狂したピアニストが滅茶苦茶に弾いてるような音楽が半分ほど続きます。時々まともに聴こえるのが可笑しいのですけど。
後半は落ち込んで嘆いて終わります。失恋したのでしょう。背景には単調なノイズ。
この『36のコレクション』は軽妙で不可思議な音空間ですが、声による映像の想起が具体的な表現を生んでいます。
音の全面的な抽象化には進まず、リアルなテイストを残す音を使い続けたフェラーリの気質であり、特質なのでしょう。
軽妙洒脱なセンスが光る、音響演劇でした。
・・・・・・・・・・
リュック・フェラーリは、ピエール・シェフェールピエール・アンリらにやや遅れて、ミュージック・コンクレート/具体音楽を始めた作曲家です。テープ音楽と言った方がイメージし易いでしょうか。1950年代の初頭のことでした。
同時期に、西ドイツではかのシュトックハウゼンが、ケルンのスタジオで、大規模な設備による電子音楽を始めています。電子音楽スタジオは日本も含め、先進国の放送局に急速に広がりました。
第二次大戦の惨禍の後で、驚異的な早さと言えるでしょう。当時の録音と編集作業や変調の困難さを思えば、先駆者の偉業に頭が下がります。
 ※電子音楽もテープに録音されました。

【メモ1】

Luc Ferrari:Collection de petites pièces ou 23 enfilades 2004 - L’empreinte digitale, ED 13171
アルス・ノーヴァ器楽アンサンブル、ピアノ:ミッシェル・モレー、打楽器:フランソワーズ・リヴェロン(第2曲)、録音:スタジオ・ジョン・ケージ、ラ・ミュゾン・セルキュイ 2003年3月
音ヲ遊ブ Luc Ferrari
:知らない間にすごいことになってたようで。時代は変わった。(^^;;
【メモ2】
『小さな部品または36行のコレクション/ピアノとテープレコーダーのための』(1985)
36行のタイトルを眺めれば、日常的なドラマが組み立てられていることが分かります。
 ※仏→英→日の Web 翻訳なので心配だけど。伝言翻訳みたい。(^^;;
『小さな断片または36行のコレクション/ピアノと磁気テープのための』
主題と変奏1/手間のかかる目的/記念品、記念品/景色/止められた古い物語/一番簡単に/6つの主題/一番簡単に-分散和音/単純な目的/Aの歴史/ダンス1/主題と変奏2/それはワルツだ/ツァラトゥストラ/12の音/主題と変奏3/ダンス2/優しく/声は謎だ/ダンス/シューマン1への讃歌/主題と変奏/ポリフォニーとリズム/私はラジオを聞く/薄紅立ち葵/主題と変奏4/シューマン2への讃歌/滑る、滑る/ポリフォニーと分散和音/演劇として知られている最初の版にあるけど、もう場所はここにはない/リストの鐘/最後の変奏/メロディーとリズム/ブラームスまたは人生/電話/凄まじくて悲しい最後
タイトルから想起する音のイメージとはかなり異なるピースもあります。
もう1曲、『偶然と決定の演奏/ピアノ、打楽器と既製の音(音の陳列棚)のための』(1998-1999)が入っています。コンクレート+打楽器+ピアノですが、演劇性は強くありません。

 現代音楽 古楽 作曲家 ヴァイオリン(バイオリン) ピアノ
日付:2007年05月20日

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シャリーノ、ブッソッティ入りの変なCD

*1


今回は、ARTSというレーベルから出た4人の作曲家による現代音楽CDにします。

入っているのが、シャリーノ、ブッソッティ、ベリオ、クセナキス

どういう組み合わせなんでしょうか?
クセナキスはどんなアンソロジーに入れても多分浮くので、代わりにイタリアの作曲家を入れた方がすっきりすると思うんですが。ルイジ・ノーノを入れたら納得の買いです。版権の問題でしょうか?
しかも作曲年不明です。やけに古い曲だなと思ったら作曲者の生年でした。(^^;

サルヴァトーレ・シャリーノ

昨年初めてその名を知りました。調べてみて、独学であること、音色の開発者として著名になったとのことで強い興味を覚えました。私のブランク中に著名になったのでしょう。
実はこれ1曲しか聴いたことがありません。
曲は『はっきりしない序奏』。静謐な流れの中に、時々キラキラした音響がサラッと入るきれいな曲です。実に繊細で、ユニークで、時にユーモラスなのだけど、間合いが多いとこがどこか日本的です。途中からは音の重なりが多くなりますが。
しかし、何の楽器か分からない音が時々出てきます。特殊奏法なのでしょうが、私には難しい。徐々に音色が変化していったり、淡く重なったりするので益々もって不明瞭です。タイトルのまんまですね。
あの奏法かなと思うと違ってるみたいで、よくわかりませんでした。しかも連続的に変化させてるようです。
シャリーノは買いですね。精妙で静謐な時間の中に、様々な微妙な変化が生成します。シャリーノだけのCDを手に入れたいと思いました。

このCD、実はシルヴァーノ・ブッソッティを

聴きたくて買ったものです。著名なわりには聴く機会の少ない作曲家なので、まとめて聴きたかったけれど、このCDだけでした。次は Amazon に頼ります。
曲名は『隠された』とでもいうのか、ピエール・ブーレーズのための9つのパート、と副題がつけられています。
冒頭から、いかにもな戦後の現代音楽らしい大音響で始まります。直ぐに静かになって、フルート独奏、次いで物憂げなビオラ(?)にピアノの伴奏が入り、更に複雑になっていきます。と思うとまた一斉音響。現代音楽してます。
ブーレーズに捧げられてるんだからそんな曲なんだろう、と思って聴くと、結構楽しめます。短い曲なので、9つのパートが異常に細かいのかもしれません。そんなにあるのか?というのが正直な感想です。めんどくさいので数えてませんが。(^^;
ところで、ブッソッティのオフィシャルサイトに行くと、いきなり短い曲が流れます。疾走感と急激な昇降感のある素晴らしくエモーショナルな音楽です。一聽をお勧めします(末尾参照)。私は興奮するほど気に入りました。いや、素晴らしい!ブッソッティ、天才です。
そのサイトで知ったのですが、ブッソッティはオペラを随分書いてるようです。サイト自体はイタリア人らしくい〜かげんです。
ルチアーノ・ベリオヤニス・クセナキスについては稿をあらためます。あまりにもビッグネームですし、多数の音源が出てますから。

ところで、ジャケットがソル・ルウィット

の絵なんですけど、発色が悪くて汚く見えます。ルウィットはもっと綺麗なイメージなので、CDを買わせようと思ったら手を抜かないでほしいものです。
今回は諸般の事情で手抜きでい〜かげんすが、晒しておきます。
次は一週間後の予定ですが、コメントへの返事は書けると思います。

【メモ】
Music by Sciarrino, Bussotti, Berio and Xenakis
今回聴いたCD。試聴できます。
曲名は作曲者順に以下です。「:」以下は英語訳。
Intro all’ oscuro:Introduction to the Obscure
Nascosto (Nove Parti per Pierre Boulez):Hidden (Nine Parts for Pierre Boulez)
Differences:Differences
Waarg:なし (^^;;
Sylvano Bussotti home page:ブソッティの本家サイト
 現代音楽 作曲家 現代美術 2007年05月07日 Muse

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癒しのジョー・パス

*1

ジョー・パスのディスクが


いつの間にか増えていました。そのうち少なくとも1枚は古いLPです。
私は実家を含めて3カ所にCDを置いてるので、正確な枚数は数えてないのですが、10枚程度はあるでしょう。熱烈なファンではないけれど、買ったディスクにハズレはありませんでした。淡々と渋い音を奏でる、派手さのないギタリストです。
パスはおそらく、ジャズ・ギターのファンなら誰しも五指の内に上げるギタリストでしょう。私が音楽情報に触れることがほとんどなくなってからも、散発的にCDを買っていた数少ないミュージシャンの一人です。
パスはいつのまにか、彼のアルバムのシリーズタイトルである『ヴァーチュオーゾ』(Virtuoso) の別名で呼ばれていたようです。
学生の頃は、『トゥー・フォー・ザ・ロード』の『チェロキー』にみられる速弾きに憧れたことがあったのですが、社会人になってからビデオを見つけて購入したところ、オーソドックスで安定感のある演奏でした。
テクニックを誇示しているわけでは全然ないのに、これは並の奏者にはとても真似できないと思ったものです。アマチュアでもトレースはできるでしょう。でもパスの音楽にはほど遠い、みじめな音にしかならないだろうと思いました。

『フォー・ジャンゴ』は

わりと最近、私の持つジョー・パスCDの列に加わった1枚ですが、パス初期のアルバムであることを後になって知り、意外でした。成熟されていると感じていたので。
タイトルのジャンゴ・ラインハルトは、古い世代の多くのジャズ・ギタリストたちが、影響を受けたミュージシャンの名前の一人として挙げる、歴史的に有名なギタリストです。私はそんなに好きではないので、『フォー・ジャンゴ』にはほとんど期待していませんでした。
結果は大違い。『フォー・ジャンゴ』はその日から、寝床で聴く1枚の列に加わりました。やはり地味だけど、安定感、深さがあります。聴き手を飽きさせない変化にも富み、絶妙なバランスの中にもツボを押さえた音たちを淡々と繰り出します。
実に渋いのですが、軽妙さも持っています。決して重くはありません。
心のどこかでは「カッコいいな」と思いつつも、全体的には安心しきって聴ける、癒しの音楽です。
そうした印象は、珍しくもパスがバンドを組んでいるせいもあると思います。ギタ−2本とベース、ドラムスのカルテットです。サポートメンバーは名前を全然知らない人たちですが、相方のギターも素敵なほどに余計なことをしません。

ジョー・パス

独奏が多いのです。それも地味な渋さを助長していると思います。主張が無いかのように自然な、息の長いフレージングと絶妙なコード進行の流れるような音楽は、おそらく無私の境地で、静かだが確固とした自信に裏打ちされているのでしょう。
甘さは微塵もないけれど、包み込まれるような暖かさが伝わってきます。スケールが大きく、最も包容力のあるジャズ・ギタリストだと思います。
今は実家にいるので『フォー・ジャンゴ』は聴けません。先日買った『ヴァーチュオーゾ』の3を聴いてます。
ジョー・パスは、こういう風に歳をとりたいなぁと思わせるギタリストです。1994年、65歳で亡くなりました。生前にステージを聴きにいけば良かったと後悔している音楽家の一人です。

PS
本日は、急に友人の通夜に参列することになり、書きかけの軽い話題を仕上げてアップしました。
彼は、私の以前の赴任地で市会議員をやっているのですが、全くバックなしに仲間たちで議会に送り込んだ男で、清心清冽でエネルギッシュな人物でした。初めはゴミ・泡沫・問題外とまでバカにされていたのを、政治にも選挙にもズブの素人集団の手で、上位1割に入る好成績で当選させたのです。『地盤、看板、鞄』全てありませんでした。
その後、遠くに転勤した私には突然の訃報でしたが、その彼を病魔が浸食していたのです。私より若く、まだ40代の後半に入ったばかり、三期目の始まった矢先でした。壮絶な選挙戦だったようですが、それはそれ。予想外に容態が急変したとのことでした。
彼と共に闘ったことのある私としては、大変残念であり痛恨の極みです。地方政治の様相を見回しても、大きな人的損失だと断言できます。
昔の仲間たちに電話しましたが、「残念だ」と繰り返すことしかできませんでした。彼らは私よりずっと若いのです。みんな耐えており、気力もありました。
この3月に、彼から一緒に飲もうという電話がかかってきたのですが、都合で断りました。それが最後の会話でした。今となっては悔やまれますが、人生そんなものです。
自分より若い友人を失うのは辛いものです。
今夜は、みんなにも奥さんにもかける言葉はないけれど、絶対に毅然としているつもりです。

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